過去をステップアップの材料にする

退職して家にいる時間が長くなり、ご近所さんとご挨拶する回数も増えました。自然とご近所さんに目がいくことが増え、様々なことに気付きくことが多くなりました。

お隣さんはふたりの赤ちゃんのために、新車のミニバンを購入しました。引っ越した頃にはまだ歩けなかった向かいの家の赤ちゃんが、大きくなってひとりでボール遊びしているのを見かけた時には、とても衝撃を受けました。私は長い間、何をやっていたのだろうと虚しくもなりました。

病気が悪化して、夫婦関係も最悪な時期がありました。そんな中、無理をして働いて得た給料は、ほぼすべて返済に当てられました。そして、その結果が、こうして民事再生することになっているわけですから、大きな回り道をした感覚です。

死ぬときに後悔すること25 大津秀一著

この本の著者は緩和医療の現場で働いている医師です。余命を宣言された患者にタイトルのような質問をし、得られた回答をまとめられたものがこの1冊です。

この中で私が衝撃を受けたものが、以下の回答です。

「感情に振り回された一生を過ごしたこと」

生きていれば、あんなに他人をうらやんだり、時には憎んだりすることもある。けれど最期が近づき、その人生を振り返ってみると、そんなことは「今、直面している死」に比べると非常に微々たるものだと気付く。

「自分のやりたいことをやらなかったこと」

本当にやりたかったことをやらずに、自分に嘘をついてきた人生。やらずに後回しにしてきたことをやりたいが、その「後」がもう、ない。

「愛する人に『ありがとう』と伝えなかったこと」

なかなか伝えにくい言葉でもあり、伝えるタイミングが重要な言葉でもある。今からでも顔を見て伝えたい、そう考えても、もう体力が残っておらず、会いに行きたくても会えない状況の人もいる。

私は今のところ、病気はもっていても、命に関わるようなものではありません。そのことにまず感謝するとともに、少し自分の最期を想像してみました。不謹慎かもしれませんが、今、事故にあって、ドラマでみるような処置室の天井を見上げていたら・・・。

あなたも想像してみてください、後悔しているものに対しての感情が、数秒前とは全く違っているはずです。

長谷部選手の言葉

「悩むというのはネガティブなイメージがありますけど、悩むことは僕は結構好きです。将来でも何に対しても不安がない人なんていない。不安があって当たり前。人生ってそういうものじゃないかって思いますけど。

僕、人生後悔してばっかりですけど、後悔は悪いことじゃないし、後悔があるから次頑張れる。あの時こうプレーしておけばよかったとか、こう決断しておけば自分がどうなってたかなとか自分の中では後悔だらけですよ。」

あの長谷部選手でも、自分は後悔だらけだって言い切ってしまえるところが驚きです。でもだからこそ、もっとより良いプレーを!と前向きに頑張っていけるんだなって思いました。

後悔することって、前向きになるのに必要なことなんです。

「今」がどうなのか

後悔とは、過去のことなので、もう変える方法がありません。全くの白紙の状態に再び戻すことは、どうやってもできないのです。誰もがこの当然のことを頭では理解しつつ、けれどそれを受け入れられずにいます。

その時の自分の行動を責め、その過去を引き起こした自分を責め、時にはその気持ちを第三者にぶつけてしまうこともあるでしょう。けれど、この行動はすべて、現在を否定するものであって、なおかつ未来に背を向けている行動でもあるのです。

未来に背を向けていては、未来をよくすることなどできません。「後悔先に立たず」とは昔からよく言いますが、まさにこの言葉通りで、後悔が先にくることはありえません。けれど、後悔から学ぶことも数多くあります。

過去を変えられないことに変わりはありませんが、「1度このような失敗をしたからには、もう2度と同じ過ちはしない」と思えることは、後悔がもたらしてくれた産物でもあるのです。そして、後悔しているとは、もう既にその時点で1歩前進しているということなのです。

大切なのは、物事を白紙に戻せないからといって自暴自棄にならず、少しでも白に戻せるように努力することです。その努力を続けていれば、きっと、そんなにも努力できている自分を振り返って驚くのとともに、こんなにも努力できたのは後悔のおかげだと気付くことができるはずです。

きっとその時のあなたは、もう過去を後悔していないと思います。「これで良かった」と思える気持ちになっているはずです。

結局のところ、今の時点での気持ちが幸せだと感じることができれば、後悔は人生の糧になると考える方向に向きやすく、今の気持ちが幸せではないと感じる場合、後悔は取り返しのつかない間違いだという考えに行き着きやすいのだと思います。今の感情は、今のあなたしか変えられません。

私は、すべてはうまくいくようにできていると考えています。私が、双極性障害になったのも、民事再生することになったのも、赤ちゃんを授かれずにいることも、みんな何か意味があると思うのです。

ただ1つだけ、悔やんでも悔やみきれないという状況になることがあるとすれば、それは、何も行動を起こさなかった後悔です。これだけは、どうしようもありません。

けれど、逆に言えば、何か行動をした後悔は、のちの行動と、そこから生まれる気持ち次第でどうにでも変化するのです。

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